男なら中身で勝負する!?
男性の皆さん!
自分自身の見た目や身だしなみに、どこまでこだわりを持っていますか?
思春期の頃くらいから、髪型や着る物、身に付ける物など意識し始めたりして、社会人になったら、仕事への影響や、年齢相応なども気にしたりして、男性でも当然、少なからずの意識は持ってますよね。
ただ、近頃では「メンズ美容」なんてジャンルもありますが、男が「美」を追求するとなると、抵抗感じるとか「軟弱者!」なんて思う人もまだまだいそうです。
こういう「男は中身で勝負!」みたいなイメージってどこからきてるんでしょう?
いかにも男の道とも言える武士道に生きたサムライ達からの名残りか?というと全然違います。
むしろサムライ達は、男の「見た目(身だしなみ)」にはかなりこだわりをもっていました。
もちろん、何かとこだわりの強いサムライ達ですから、そのこだわりもそれなりですよ。
武士のこだわり
「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な『葉隠』にこんな一節があります。
五、六十年前までの武士は、毎朝行水し、月代、髪には香をつけ、手足の爪を切って軽石でこすり、こがね草で磨き、怠りなく身だしなみを整え、武具についても錆などないよう一通りしっかり磨いておいた。一見おしゃれのことをいってるようだが、そうではなく素晴らしい流儀である。もしも身だしなみをおろそかにして討死でもしようものなら、日頃からの覚悟の無さが露見し、敵から見下され、けがらわしく思われてしまうため、老若問わず、身だしなみには気を付けたものである。
葉隠(意訳)
いかがでしょう?
ちなみに月代(さかやき)とは、ちょんまげスタイルの剃り上げた部分の事です。
髪型、服装や甲冑を整える事は普通にイメージできるかと思いますが、香を炊いて身にまとったり、爪の手入れをするなど、今でいうコロンとネイルでしょうか?(笑)
かなり細かな部分までこだわっています。
いつ戦場で死体を晒すことになっても恥をかかないようにという、日頃からの心構えを大切に思ってのもので、実践を重んじるサムライらしい発想だと思います。
ファッションというよりは、必要に迫られてという部分が強いです。
この他にも、葉隠ではもう少し違ったニュアンスの一節もあります。
武士は、外目を良くし、内では倹約をすべきである。多くの人はそれが逆になっている。
葉隠(意訳)
外向きの見た目はしっかり整えながらも、内では節約する事を勧めています。
いい意味で、外では見栄を張れ!という意味合いが込められていますが、ちょっとファッション的な要素も感じられますよね。
また、見た目を整えるために、こんな一節もあります。
風体を整える修業には、普段から鏡を見て直すようにするといい。
これぞ秘蔵の教えである。
皆はあまり鏡を見ないから、風体が良くないのだ。
葉隠(意訳)
もはや外見を整える事を修業と言っていますが(笑)、それだけ大事な事だと考えていたんだと思います。
いつ死体を晒すかもしれないという前提ばかりではなく、日常からしっかりと見た目にこだわりをもっているのが分かります。
そして、更なるこだわりを感じさせる一節がこれです。
頬紅などを懐に持ち歩くと良い。
時によって、酔い覚めや、寝起きなどで顔色が悪い時や、
いざという時に、頬紅を薄く引くと良い。
葉隠(意訳)
完全にメイクですね。
男性のメイクって決して最近の物ではないんですね。
いつ、どこで、誰から見られても大丈夫なように、常に自分を最高の状態に演出し続ける。
ここまでくるとむしろ美しく感じられませんか?
自分が特別であるという自覚
サムライ達の美意識の高さは「自分に恥じない生き方をする」という「名誉」の心からくるものです。
身だしなみがきちんとしていない事は、サムライにとっての恥ということ。
正装など、時と場合により、相手への敬意を表すための「礼」の意味合いもあります。
自分たちが特権階級であるという事を自覚し、それに見合った振る舞いや物言い、身だしなみが必要だという強いこだわりを持っていたんでしょう。
「自分が何者で在るか?」という中身を見た目に表していたということです。
今の時代でも、一流の人は全てにおいて一流にこだわるなんて言いますが、凡人とは違う世界の話のように思っていませんか?
ちなみにサムライは特権階級ではありましたが、質素倹約を重んじていたように、清貧に暮らしていた人がほとんどです。
私たちに足りないものがあるとすれば、一流の物を手に入れるお金じゃなくて、「自分が何者で在るか?」という自覚だと思います。
「男は中身で勝負!」
その中身を表すのが身だしなみです。
その表現の仕方が、ファッションなのか美容なのか、そんなことは問題ではない気がします。
武士道という一流の生き方を真似て育ってきたのが私達です。
既に一流でしょ!?
まとめ
「身だしなみ」の「たしなみ」には、「心得」や「心がけ」という意味があります。
内面と外面、どっちを磨くのか?ではなく、内面を磨けば外面も磨かれ、外面を磨けば内面も磨かれる、どちらか一方では成り立たないものなんだと思います。
さて、自分はどうやって自分を表現しているのか?
たまには、自分の持ち物を見直してみるのもいいかもしれませんね。