かけよや、わかものども。
宇野七郎親治
命な惜しみそ、名を惜しめ。
まんなかをかげやぶって、通せや通せや。
目次
自分が何者で、どう在るべきなにか!?
宇野七郎親治とは、源頼朝の五代の孫に当たる人物です。
保元の乱の最初の戦闘の前に残した言葉と言われています。
戦に出れば生きるか死ぬか、いずれかしかありません。
その究極の場面においては、命よりも【名誉】こそ重要だということです。
また、命を惜しむことで臆病になってしまうことを避ける意味合いもあったのだと思います。
手柄を挙げても、自分が死んでしまえば恩賞ももらうことはできません。
しかし、生き延びることに執着していれば、逃げ腰になって恥をさらし、【名誉】を失墜させることにつながります。
また、臆病風に吹かれれば、却って危険な目にも合うでしょう。
【名誉】を守るということは、「自分が何者であるのか!?」を守るということです。
武士たちが究極の場面において守るべきものとは、「後に得られる利益」よりも「自分と言う存在の確信」だったのです。
武士道を忘れかけている今の私たちでも、自分を騙し続けられる人はそういないものです。
こうすれば儲かる、楽になれる、それが分かっていても、その方法が、もし自分にとって許しがたいものであるならば、仮に手を出したとしても、続けていくことは困難です。
「自分とは何者で、どう在るべきなのか」私たちも知らず知らずに問い続けているのだと思います。