私はすべての判断の基準を “人間として何が正しいか” ということに置いている。
稲森和夫
京セラ、KDDIの創業者であり、JAL再建にも多大な成果を残している稲盛和夫氏。
「経営の神様」と呼ばれる経営者の一人です。
ネットで検索すればたくさんの名言が見つかりますが、稲盛氏に限らず、偉業を成す人物の言葉のそこかしこに「武士道」に出会うことがよくあります。
「人間として何が正しいか」というのは、武士道の【義】の教えであり、損得を考えず、正しいと信じる道を選ぶという意味があります。
企業が営利を求めるのは当然のことです。
それがなければ存続できません。
そこに損得勘定が働くことは、決して否定できないと思います。
しかし、「会社の存続のためには仕方がない」と、偽装であったり、労働条件の悪化であったり…様々な不祥事が次々と明るみに出ている時代です。
不祥事の謝罪会見を見ていると、まるで「営利と人の道とは決して相容れないもの」と言っているかのように感じます。
現代に残る名だたる企業は「誰かの役に立ちたい」という創業者の「志」の元、人に必要とされることで自然と大きくなり、その結果として長く繁栄してきた…という企業がほとんどでしょう。
営利とはあくまでも結果です。
営利だけを目的にしてしまうからこそ、手段を選ばないという選択肢が生まれてしまうのではないでしょうか。
「綺麗ごとばかり言ってられない!」
と言えば、もっともらしく聞こえたりもしますが、「綺麗ごと」こそが最も困難な道であり、結局その困難から逃げるための言い訳に過ぎないと感じます。