足ることを知って及ばぬことを思うな
楠木正成
充足を知るか、不足を嘆くか
とかく日本人は「減点主義」です。
100点満点のテストで60点だったとすると、獲得した点数よりも、届かなかった40点にばかり目がいきます。
テストに限らず、営業成績にしても会社の業績にしても同様で、ノルマに、目標に対して今どれだけ「足りてないのか!?」に注目してしまいます。
足りない部分を嘆くよりも、今手にあるものを見直してみろ!
正成の言葉はこういう意味でしょう。
武士たちは超現実主義的な考えが必要とされていました。
命のやり取りをする戦場に出るわけですから、希望的観測よりもむしろ、今の自分のレベルをしっかりと把握しておくこと…
それができなければ、無駄に命を落とすことにつながります。
勇気や血気だけでどうこうできるものではないのです。
しかし、だからと言って、敵わない相手に尻尾を巻くということもできません。
敵わないと分かっているからこそ、今持っている全てで立ち向かうしかありません。
足りない力を嘆いても、目の前の現実を変えることはできないのです。
この考え方は、忍耐の修養においても重要でした。
質素倹約を目指したのが武士ですから、生活という面では決して豊かではありません。
また得れば得るほど欲しくなるという人間の欲というものも分かっていたのでしょう。
例え貧しい生活であったとしても、今あるもので既に十分であると思えること…
それもまた【克己】の一つです。
今はもはや「何もかもある」時代です。
ただ、「何もかもある」のは私たちの身の回りのことであって、私たちの心の中はまだまだ「足りない」のではないでしょうか。
むしろ武士の時代よりも、心の中の不足は溢れて出しているようにさえ感じます。
「今、既に十分」と考えた武士たちが、唯一際限なく求め続けたもの…
それは「自己の修行」です。
それは今あるものを現実的に見つめた上で、更なる境地を目指すということ…
私たちに本当に不足しているものとは、既に満ち足りているということを知る心だと思います。