大義を思うものは、首をはねられる前であろうとも命を大切にするものだ。
石田三成
生き延びるという勇気
天下分け目の関ヶ原に敗れた光成が、処刑直前に残したと言われている言葉です。
死を恐れないことこそ、武士道の【勇】、つまり『勇気』です。
しかし、ただ恐れないだけならただの無謀にもなる…
真の『勇気』とは、生きるべき時にはどれだけ恥を忍んでも生き延びること…
それは武士道における【名誉】とは相反するものでありながらも、「大義」を前にすれば、命とはどこまでも惜しむべきものだということでしょう。
今の日本では戦いで命を落とす人はほとんどいません。
しかし、戦いで死ぬのと同じくらいたくさんの人が、自殺という方法で命を落としています。
命と引き換えにしたいほどのものとは一体なんなのか…
周りがいくら推測してみたところで、その真実は本人にしか分からないことでしょう…
打倒家康という大義を、最後の最後まで貫こうとした光成。
平和に生きる私たちに「大義はあるか!?」と問われても、中々答えられる人はいないほど、大げさに聞こえてしまうのかもしれません。
ただ、関ヶ原に善と悪を定義付けることができないように、あくまでも「自分なりの大義」です。
それはつまり「自分が信じる道」という程度の考えでいいのではないでしょうか。
何より、私たちはただここで生きているというだけで、誰かを安心させ、誰かを喜ばせているのです。
自ら命を絶てば、必ず誰かを不幸にするということ…
ただ、ここで生き抜く!
それだけでも十分大義だと思います。