「許し」こそが「癒し」になる
どうしても許せない!
そんな相手ができてしまった時。
気付けば、やられた事をやり返す方法がないか?と考えてたり、ついその人が不幸になることを願ってしまったりする…
そんな経験のある方は、少なくないと思います。
人を憎んだり恨んだりすることは、とてもパワーを使うため、相当しんどいにも関わらず、いつも頭から離れないような状況になったら、本当に苦しいでしょう。
少しずつ時間の経過と共に癒されていく部分もありますが、人間不信になり、人を信じる事が怖くなってしまったりと、後々までしっかりとダメージが残ってしまう事もあります。
この苦しみから解放され、自分の心が癒されるために必要なことは、ズバリ「許すこと」です。
自分を許すこと
- 一生許さない!
- 悔しい!
- 仕返ししたい!
- 同じ目に遭って欲しい!
色んなネガティブな思いが湧いてきては、そんな事思っちゃダメだ!と、自分を責める…
こういう心理状態の時は、まず一度冷静になる必要があります。
人間の心理には「返報性の原理」が働きます。
何かをしてもらったら、「返したい!」、「返さなければならない!」、「返さないと気が済まない!」など、反射的に思う心理です。
これは、恩義を返すという場合だけじゃなく、望まないことをされた場合の復讐心であっても、同じ様に働きます。
自分がひどい目に遭わされたら、相手も同じ目に遭ってもらわないとつじつまが合わないと思うのは、正常な心理が働いている証拠と言えます。
だから、自分がひどいヤツだとか汚いヤツだとか思って、責めることは辞めましょう!
心の中で思うことは自由です。
まず「許せない!」と思っている自分を許す事から始めてみましょう。
そして、少し冷静になれたら、自分の本心をもう一度見つめ直してください。
強い怒りや悔しさを感じているかと思いますが、その根本にあるものは「自分を大切にしてくれなかった」、「粗末に扱われた」という悲しみです。
悲しみを怒りに置き換えることで、自分の心を守ろうとしています。
だからまず最初にやらなきゃいけないのは、自分を責める事ではなく自分をいたわることです。
「怒り」よりも、その奥底にある「悲しみ」をしっかりと感じる事が、最初のスタートラインと言えます。
相手を許すということ
少し冷静になれたら、次は自分が目指すべきゴールを意識してみましょう。
ゴールはたった一つ。
その人を許せるようになること!
です。
断言しますが、やられた事をやり返すなどの復讐によって、この苦しみから解放される事はありません。
もし自らの手で何らかの復讐を実現したとしたら、一瞬は嬉しいかもしれませんが、相手と同じレベルになってしまった自分を許せなくなるでしょう。
更に、復讐心は連鎖しますから、また相手からの報復を受けるという可能性もあり、終わりがきません。
本当に自分の心が癒される時は、相手を許せた時です。
ここで勘違いしないで欲しいのは、「相手を許す=何事もなかったかのように付き合う」という意味ではありませんし、ご縁を終わりにすることで許すという形もありだと思います。
また、許すという事を相手に伝える必要もありません。
許せないという気持ちは、相手に向かっているようで、自分自身を縛る呪いのようなもの。
相手のためではなく、自分のために許すことがゴールです。
自分に集中する
ゴールを理解したとしても、一気に「相手を許そう!」と進み始めるのは恐らく無理があるでしょう。
「相手を許す方向を目指してみよう!」と思えるようになったら、少しずつ進み始めましょう。
進み始めたつもりが、ふと気付けば復讐する方法を探している自分に気付くこともあるでしょう。
自分ではどうにもできないなら、どうにかして不幸になってくれないだろうか?そんな事を考えてしまうこともあるかもしれません。
もちろんそんな自分を責めたりはせず、感情はそのまま受け止めましょう。
その上で、視点を切り替えましょう。
復讐などネガティブな事に注目してしまうと、ネガティブな感情しか湧いてきません。
考えている間中ずっと、モヤモヤが続くでしょう。
また、復讐を考える時も、不幸を願う時も、考えているのは相手の事です。
まるで相手と戦っているかのような感覚になってる時もありますが、実際は誰とも戦っていません。
鏡に写る自分自身に、相手の顔でも貼り付けて殴りかかろうとしているだけです。
変える事のできない他人の人生を考えることは時間の無駄ですし、何より残念な人のために、自分の大切な時間を使うなんてもったいない!
これからいくらでも変えられる自分の人生を考えることに集中しましょう!
その人を許すとは、相手を目の前にしても平気なレベルに辿り着く事だと思う人が意外と多いですが、そういう正面突破は苦しみが多い上に逆に時間がかかったりします。
可能なら、相手の姿を見ることも、関わる事もないようにするほうが自分に集中できる時間が増えるため、結果的には効果があります。
自分は悪い事してないのに、こっちが逃げなきゃならないの?と思う人もいますが、難所を避ける事は、本来の目的達成のための有効な戦略です。
自分に集中しやすい環境を、自分で確保することは大切な事です。
人間の未熟さを許す
人間とは未熟な生き物です。
相手も、自分も未熟です。
だから全てを許せという意味ではありません。
ただ、未熟さに目を向けることで、相手の気持ちや立場にも目が向いたり、同じ状況になった時、自分ならどうするだろうか?と考えたりする余裕が生まれてきます。
もしかして、自分の行動にも良くない部分があった!と気付く事があるかもしれません。
そういう考え方が出来るようになってきた時、相手から「されたこと」のインパクトが、少し小さく感じれるようになってきます。
そうなると「返報性の原理」は、相手からされたことの大きさに比例して作用するため、「やり返したい!」という復讐心も少し小さくなっていきます。
違うステージを目指す
「やり返したい!」のも「許せない!」のも、同じステージにいるから。
自分が一段上に上がれれば、こんなことでつまづかなくなる!
人間関係で、理不尽な思いに悩んだ経験のある人なら、一度は思った事がありますよね。
上に上がろうと思うと時間も力も必要になりますが、全く違うステージへなら、すぐに行けることもあります。
プロ格闘家が素人相手に、本気の喧嘩をすることはありません。
相手をリングから下ろせないのなら、自分がリングを去るという選択肢もあるということです。
相手を下げるのではなく、自分が上に上がることや、全く別なステージへ行くことで、恨みや憎しみを全く違った次元へと昇華させる。
もちろん簡単な事ではありませんが、相手を動かす必要もなく、自分だけでできるという面でも、最も理想的ですし、ここまで辿り着いた時には、もはや許すか許さないかという次元は超越していると思います。
例えば、犯罪被害者遺族が、被害者の会のようなものを作って、啓蒙活動をしたり、同じような境遇の人たちに寄り添おうとしたりする…
というのも昇華ですが、こういった場合は恐らく一生許さないと決めている可能性も高いでしょう。
自分を癒すためにこそ「許し」は必要ですが、どうしても許せない出来事というのも現実には起こる可能性があります。
それでも思いを昇華させることができれば、前へ向かおうとする力を持ち続ける事はできると思います。
終わりに
武士道で生きてきた日本人は、恩を返したい気持ちが強い分、報復したい気持ちも強くなると言えます。
江戸時代には一部、仇討ちが認められ、仇討ちしないのは武士の恥とされていた歴史もありますから、「義」を重んじるあまり、自分がひどい事をされたから許せない!だけではなく、こんなこと世の中が許すわけがない!というような正義感からの怒りを持つ人もいたりします。
私の実体験として、「泣き寝入りだけはするなよ!」と、第三者から強くアドバイスされ、相談する相手を間違えたと後悔したこともあります。
人の意見を参考にすることは大切ですが、許すか許さないかは必ず自分自身が決断をしましょう。
そして、例え、どんな目に合わされたとしても、どれだけ強く恨んでたとしても、その相手を裁く権利は、私たち一個人にはないということを忘れてはいけません。