約10年前、著名なベルギーの法学者、故ラブレー氏の家で歓待をうけて数日すごしたことがある。ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。
新渡戸稲造「武士道」第一版への序文より
「あなたがたの学校では宗教教育がない、とおっしゃるのですか?」
とこの高名な学者がたずねられた。
私が、「ありません」という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みをとめられた。
そして容易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子供に道徳教育を授けるのですか」と繰り返された。
そのとき、私はその質問にがく然とした。
そして即答できなかった。
なぜなら私が幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校で受けたものではなかったからだ。
そこで私に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析してみると、そのような観念を吹き込んだものは武士道であったことにようやく思い当たった。
日本人の教育とは
日本には特定の宗教というものがありません。
日本特有とも言えるのが神道かと思いますが、そもそも全てに神が宿るという考え方のせいか、全ての宗教を否定しない、代わりに特定の宗教もない…というような感覚が強いように感じます。
日本人の道徳教育は学校で授けられたものではなく、それぞれの家の中で武士道によって授けられてきました。
今、武士道で教育されてきた!と言われて、ピンとくる人はほぼいないでしょう。
しかし、知っていてもいなくても、私たち日本人の価値観のほとんどは、この武士道から作られたものなのです。
日本人が海外から称賛を受ける時、そこには必ず武士道精神が宿っています。
ところが、肝心の私たち日本人がそのことを知らない、気付いてないことが多いのが現実でしょう。
武士道を知ることは日本人とはなんたるかを知ること。
そして日本人であることに誇りを持つことができないでいる今の私たちに、日本人の誇りを思い出させてくれるのではないかと考えています。