巧者の咄等聞く時は、たとへ我が知りたる事にても、深く信仰して聞くべきなり。
葉隠より
同じ事を十度も二十度も聞くに、不図胸に請け取る時節あり。
その時は格別のものになるなり。
老の繰言と云ふも巧者なることなりと。
聞き飽きた言葉も受け止め方で変わることがある
親から何度も何度も口を酸っぱくして言われ続ける…
上司と酒を飲むたびに同じ話をされ続ける…
誰にでも経験があるのではないでしょうか!?
「また同じ話かよ!」
「何度も聞いたよ!」
「もう十分分かってるよ!」
目上の方の話には、そう思うことも少なくありません。
しかし、同じ話であったとしても、こちらの受け止め方でその意味合いが大きく変わってくることがあります。
子供の頃はただうるさいだけだった親の教えも、大人になってその本当の意味に気付いたりします。
酔っ払い上司の話にうんざりしながらも、いつしかその話はしっかりと自分の中に染みついて、教訓になっていくこともあります。
自分の置かれている立場や、重ねてきた経験、何より自分自身の聞く姿勢によって、その受け止め方は変わるものです。
「年寄りがまた同じ話を繰り返してるよ…」と思うのではなく、「深く人生経験を積んだ先人の話」と思えば、その話の中に深い意味があることに気付けるのかもしれません。
近頃は上司からの「飲みニケーション」の誘いを断る若者が増えているそうですね…
仕事外の付き合いはムダな時間だと思う気持ちは分からないでもありません。
しかし、仕事外だからこそ聞ける話もあります。
結果として、それが仕事に活きてくることも決して少なくないのではないでしょうか。
自分の貴重な時間だからこそ、自分のためだけに使うのではなく、1つの「ご縁」のために割いても損はないと思います。