我が側(かたわら)に袒裼裸?(たんせきらてい)すといえども、汝いずくんぞ能く我を汚さんや
孟子
目次
誇りは自分の中にこそある
無礼なことをされたとしても、それはその人が勝手に無礼なことをしたというだけであって、自分は自分であり、それによって汚されることはない。
自らの誇りは自らの中にあるもの、他人が汚すことなど決してできないということです。
また、つまらない行為など相手にもしないという意味でもあります。
武士道では、むやみに腹を立てたりしないために、忍耐を重んじました。
しかし、正義のための「義憤」は必要なものとされ、本当の意味で自分の【名誉】が傷つけられるとなった時には、ためらわず刀を抜きました。
「刀を抜く=死を覚悟する」ということです。
私たちは、相手にしないほうがいいような人に、心を取られることがあります。
誹謗や中傷を受けたり、馬鹿にされたりすれば腹も立ちます。
自分の【名誉】を傷つけられたように感じるからでしょう。
そうやってつまらないことに腹を立てたり、取るに足らない人を恨んだりすることこそ、自分で自分の【名誉】を傷つけているということではないでしょうか…
【名誉】とは自分の心の中にあるものであり、人から授かるものではありません。
他人のつまらない行為によって、そう簡単に傷がつくようなものではないのです。