コロナ対応に見る日本人の矛盾
自粛警察、マスク警察、そして、帰省警察と、コロナ禍の中で、色んな「〇〇警察」が登場してきました。
中には軽い気持ちのイタズラのような人もいるとは思いますが、多くの場合は「自分こそが正しい!」と信じて行動していると思われます。
「正しい行いをする」というのは、武士道第一の徳目「義」の教えであり、私たち日本人が昔からずっと、最も大切にしてきた価値観です。
しかし、何が正しいか?の判断はあくまでも個人によるもの、そのため、何とか警察のような「正義の暴走」になってしまうことがあっても、決して不思議ではありません。
「自粛警察」の心理とは
コロナ警察になってしまう人の心理として、ウイルスに感染する事への恐怖や不安が根底にあることは間違いないでしょう。
そのリスクを避けようと、自分はおとなしく自粛しているのに、近くに自粛をしない人がいたら、自分のせっかくの行動が無駄になると共に、その人たちが身近に感染リスクを持ってくるかのような不安を抱き、怒りを感じ始める。
ここまでであれば、同じように感じた事のある人もたくさんいるのではないでしょうか?
不安や恐怖から自分の心を守るために、怒りという感情に置き換えるということは、日常的にもよくある心理状態です。
しかし、その怒りを相手にぶつけるかどうか?となると、ほとんどの人がそこまでの事をしようとは思いません。
それでもやってしまうという人は、それだけ大きな恐怖心が強い怒りになっているのと他に、それを正すことが正義だという思いがあるからでしょう。
ただし、人一倍大きな恐れを抱く人ですから、基本的には臆病な人でもあります。
だからこそ、匿名で攻撃するという最も卑怯なやり方になってしまい、せっかくの正義感も最低な嫌がらせとしてしか世に伝わりません。
「正しいこと(義)」のために行動を起こす事が「勇気(勇)」ですが、そもそもその前に、行動の起こし方に問題がないかどうかを判断する「恥を知る心(名誉)」が必要でしょう。
「和」を重んじる日本人
こういう心理の背景には、「自分とは違う価値観で行動する他人」を受け入れられない、または許せないという、「村社会的心理」が働いています。
皆と同じように行動できない人は「村八分」にしたい!というような感覚です。
「和」を重んじる日本人は、同じ価値観の中で生きる身近な人を大切にする反面、そうではない人を放置ではなく、無理矢理正そうとしたり、それができなければ排除しようとするような行動に出たりします。
こういう心理は、子供たちのイジメにも一部ありますが、むしろ大人の世界こそ強く見られ、他人とあまり干渉しない都心部よりも、隣近所など他人との干渉のある地方のほうが強くなる傾向もあります。
大きな災害時には世界中から称賛を受けるほど、他者をいたわり、自身を律するような統率の取れた行動ができる日本人が、こんなつまらないトラブルを起こしているのには、ちょっと悲しくなりますね。
恐らく、災害時には同じ被害を受けた者同士の一体感や連帯意識のようなものが働いているものの、コロナに関しては、個別に状況が違うため、まず自分が感染することを回避したいのでしょう。
不安な気持ちは理解できますが、コロナによる被害とは、感染だけではなく、人間同士の分断や混乱という一面もあるという事に気付いてほしいです。
言ってくれなきゃ分からないコロナ対策
人間同士の分断の原因として、政府の対策もないとは言えないでしょう。
現行法では一切の強制はできない!を理由に、明確な姿勢はほとんど見せず、全てを国民の自主判断に任せるかのような状況が続いています。
多くの日本人は、強制されなくても「正しいこと」をしっかりと判断し、自主的に統制の取れた行動ができます。
「言わなくても分かる」っていうヤツですが、それはつまり「ハッキリ言ってくれたらもっと分かる」という事でもあります。
コロナを収束させる力は、まだどこの国にもありませんが、人間同士の分断や混乱を最小限に抑えることはできるはずです。
しかし、現行法では無理と言いながら、法改正もしないということは、このままの状態が続くという事です。
「言うを成す」と書いて「誠」、有言実行を重んじるからこそ多くを語らないという美徳もありますが、いつまでも明言を避け続けるのはただの不誠実だと思います。
正しい判断をするために
さすがにこの歴史的緊急事態の中では、日本人の美徳がむしろ災いになっている事も多々あるようですね。
しかし、ここに挙げた悪例はごく一部のことで、多くの日本人は、コロナに感染したくないというよりも、感染させたくないという思いで行動してる人が圧倒的に多いのも感じます。
こんな最悪の事態にも、他者を思いやる心(仁)もまた、日本人の美徳です。
誰も経験したことのない事態に、これが正解という答えはありません。
一部の心ない人達の行動が、メディアでは大きく取り上げられるように、起こっている現実さえ、どこまで正しいかははっきり見えません。
流れてくる情報は鵜呑みにせず、一度整理してから自分なりの考えをまとめましょう。
今、私たちは、自分たちの意志で、正しいと思うことを判断するしかない状況にいます。
何が正しいか分からないのなら、その場その場で、自分が「後悔しない」と覚悟できる選択をするしかないでしょう。
大丈夫です。
私たちは、常に「正しいこと(義)」を見極め、他者を「思いやる心(仁)」をもち、「恥ずかしくない(名誉)」行動を「実行する(勇)」事ができます。
周りを見て、自分を見て、迷いながら、立ち止まりながら、時に後戻りしても、それでも進んでいきましょう。