思いを伝える「型」
武士道の徳目の1つ「礼」。
他の徳目が全て心構え的な内容なのに対して、この「礼」は唯一の「型」の教えです。
そして「型」だからこそ、かなり原型をとどめた形で現代まで受け継がれています。
日本人独特の挨拶であるお辞儀や、武道における「礼に始まり礼に終わる」というのもそうです。
小笠原流礼法などは、正に武家礼法の流れを現代に残しています。
現代における「マナー」と同じだという認識で間違いはないですが、その「型」に込められた思いまでは、あまり知られていないかもしれません。
型に込めた思い
「マナー」を学ぶのは、自分が恥をかかないためのものだという認識を持っている人は意外に多いのではないでしょうか?
その意味もないわけではありませんが、マナーなどの本当の目的は、目の前にいる人を不快にさせないためのものです。
食事のマナーで例えると分かりやすいですが、あまりにも食べ方の汚い人が目の前にいたら、さすがに良い気持ちはしませんよね?
場合によっては食事がまずくなります。
そうなると恥ずかしいから知っておきたい!と考えれば、自分のためでもありますが、一緒にいる相手に不快な思いをさせたくないからこそ、マナーが必要となるわけです。
食事とも関係するビジネスマナーとして、上座、下座という考え方がありますが、偉い人を上座(奥)に案内するのは一番安全な場所だという意味からであり、敬意を表し、敵意がない事を示します。
元々は、上座=自分の左側だったようですが、これも右手で刀を抜いて切りつけるのに最も遠い場所という意味で、敵意がないことを示しています。
同様に刀を自分の右側に置く、というのも敵意がない表れですが、刀は必ず右手で抜くものだったため、こうした「型」が生まれたようです。
私たちにとって身近なお辞儀も、急所である頭頂部を相手に晒すことで、「敵意がない」という事を伝えるのが本来の意味です。
常に死と隣り合わせにいたサムライ達だけに、「敵意がない」ということを表す所作は豊富ですね。
このように、ただ形が決まっているのではなく、「相手への敬意」や「相手を大切に思う心」を形に表すのが「礼」の心です。
それは同時に、「型」を繰り返し学んで行くことで、正しい心を身につけるという事でもあります。
ビシッとしたマナーが身につけば、ちょっとかっこいいですよね。
更に人を心地よくさせるとなれば、もう良いことしかないはずですが、今となってはそこまでのメリットは感じられない場合が多々あります。
せっかく学んだマナーも、相手がそれを知らなければ、丁寧な対応だとは思ってもらえても、本当の思いは届きません。
日本人独特の「言わなくても分かる」というのは確かに美しいですが、今の時代に思いを届けるためには、やはり言葉の力は不可欠かなと思います。
「つまらないもの」をプレゼントする日本人
言葉と言えば、誰かに贈り物をするとき、日本人は「つまらないものですが…」と一言添える風習があります。
さすがに今の若い人はもう使わないかな…?
もちろん本当につまらないものを送ってるわけではないというのは誰もが知ってると思いますが、よく誤解されがちな、相手が喜んでくれるかどうか分からないから控えめに言っておくとか、自信が持てないから保険かけておこう!というのもちょっと意味が違います。
これが例えば欧米人の感覚だったら…
これはとても素晴らしいものだからあなたにあげます!つまらないものをあげたら失礼ですから!
良い物だからこそ、大切なあなたにあげたいのです。
今時の日本人も恐らくこっちの考えが近いかもしれません。
しかし、かつての日本人の言うつまらないものとは…
立派なあなたを前にしたらつまらない物だと思いますが、私は良い物と思って選びました。どうか受け取ってください!
当然、良い物だと思っているから送るわけですが、それよりも相手を立てると同時に自分を謙遜する意味を込めています。
つまり、欧米の感覚では、贈る「物」そのものを重視しているのに対し、日本人は「受け取る人」と「送る人」という、両方の「人」を重視しているという事です。
こういう感覚って美しいなと思いますが、「だったら言ってよ!」とツッコミたくなる気持ちも分かるような…(笑)
言わなくても分かる日本人
「言わなくても分かる」とか「多くを語らない」というのは日本人の美徳として、美しく素晴らしいと感じます。
ただ、誰とでも通じるわけではないという欠点があります。
しっかりとしたマナーなら、思いは通じなくても印象が悪くなることはないですが、「つまらないもの・・・」は、相手によっては不快に思う人もいるかもしれません。
今は言葉の時代です。
SNSやブログなどを通じてたくさんの言葉に出会います。
動画もありますが、そこから伝わってくるものはそのほとんどが言葉です。
物理的距離がなくなったことで、これまでなら出会わなかったはずのたくさんの人達と繋がることができるようになりました。
その全ての人と「言わなくても分かる」関係を築くことは不可能でしょう。
昔と比べれば、そもそも繋がる人数が違うと思います。
だからと言って、古き良き日本の美しい風習がなくなってしまうのは、寂しすぎます。
今は「言わないと分からない」のではなく「言えば伝わる」というだけのことです。
美しい風習に一言添えれば、もっと深く相手に伝わるはずです。
それは親しい関係の相手に対しても、同じだと思います。
「言わなくても分かる」と思っている相手でも、ふと行き違う事もあるでしょうし、親しいからこそ当たり前になってしまい、忘れかけている事もあるはずです。
- あなたを大切に思っている!
- いつも気にかけてる!
- いつもありがとう!
美しい言葉や気の利いた言葉じゃなくても良いと思います。
そんなにかしこまらなくても相手には伝わるはずです。
日頃の何気ない行動の中に、あなたの思うそのままを、一言添えてみてはいかがでしょうか?
古き良き風習を知った上で添えられる一言は、相応の意味を伴って相手にも伝わるはずです。
「親しき仲にも礼儀あり」とは、「親しい仲でも礼儀をわきまえよ!」ではなくて、「親しい仲こそ思いを形に表そう!」という意味だと思います。
まとめ
美しい日本の文化や風習はいつまでも残って欲しいと思っていますが、時代の変化に合わなければ消えて行ってしまう可能性が高いと思っています。
古いものを古いまま残す事ばかりが良い事ではなく、今のテイストが加わる事で、むしろ今の時代でも色褪せない美しさが出てくることもあるのではないでしょうか。
伝統を「守る」という事は決して受け身ばかりではなく、積極的に攻めていく守り方もあると思っています。